HOME > 刊行物 > にじ > オピニオン

研究誌「にじ」

オピニオン

 「オピニオン」は、研究誌「にじ」の巻頭言として、特集のテーマやその時々の動向に合わせたテーマを1ページにまとめ発表(掲載)しているものです。

2016年~2018年 | 2013年~2015年 | 2010年~2012年

「改革」を実践するための「説明責任」

勝又 博三
にじ 2015 冬号 No.652

 10月23日にJC総研常務理事に就任しました。JA全中に32年半勤務した後に、独立行政法人に4年在籍していました。JA全中を離れている間に生じていた、いわゆる「農協改革」と称するJAグループ、さらには協同組合のアイデンティティにまで及ぶ攻撃に強い苛立ちを感じていました。これまで特定課題でのJA対応が多かったこともあり、職責をどれだけ果たせるか不安もありますが、よろしくお願いします。

 「創造的自己改革への挑戦」が第27回JA全国大会決議のメインテーマです。このテーマを踏まえ、自らの「改革」をどのように捉え、どのように実践していくのか、さらにどのように評価されるかを今一度考えることは大切なことだと考えます。

 「改革」は、その主体を明確にする必要があります。『協同組合が組合員や組織のために自らを「改革」』するという抽象的な表現では、その意味がよく分からないというのが本音ではないでしょうか。そのことは、「改革」を実践する主体が「改革」を自らの課題として十分認識しきれていないという事情によるものか、あるいは、「改革」の押し付けに反発があるからなのかもしれません。

 JAグループのJA・連合会・中央会それぞれが、その事業や組織について、これまでどれだけ説明責任を果たしてきたでしょうか?とりわけ、JAに寄せられる組合員からの多様な期待に対して「なぜ取り組まないのか」について、それが自明であるといった論理で、説明責任が十分に果たされていなかったのではないでしょうか。

 大会決議では、6分野の最重点実施分野が掲げられ、各分野の方策・事業の具体化と実践は個別のJA・連合会が取り組むことと整理されています。まさしく、この実践のための具体化において、説明責任が問われると考えます。つまり具体性のある事項を「取り組む、あるいは取り組まない」の結論を示すだけでなく、結論に至った判断過程やリスク認識等々について説明責任を果たしていくことが、「改革」の実践と評価につながっていくことにもなると思います。

 「改革」の主体はあくまでも個々の協同組合です。組織・事業環境やリスクを踏まえ、その取組みについて説明責任を果たすには相当な覚悟とエネルギーが必要です。しかし、この説明責任を怠った「自己改革」は「自己満足」としか評価されないことも事実だと思います。

JAにおける総合事業と准組合員制度の危機について

冨士 重夫
にじ 2015 秋号 No.651

 今後、正組合員の減少と准組合員の増大がより一層すすむ状況の中で、JAグループの進むべき方向は、准組合員制度を強化し、金融を含む総合事業を展開する組合として、農家の職能組合と地域協同組合の性格を併せ持った組織として、地域の農業や地域経済・社会の発展のために存在して行くことです。

 しかし、今回の農協改革で明らかになった政府の考え方は、法制度の建て付けからしてもJAは職能組合が基本であり、農業に従事しない准組合員が増大し、正組合員は少数という状況が今後も続くのであれば、金融である信用事業の譲渡による代理店化か、あるいは信用事業・共済事業を分離して、JAは専門農協化すべきである、という方向感に示されていると思います。

 地域農業の振興に積極的に取り組むのは職能組合たるJAとして当たり前であり、これを実施したからといって現行制度のままで良いなどと言うことは無いと思います。

 我が国の協同組合法制は、事業別の協同組合法を根拠としており、農協法も農業者の職能組合としての協同組合法です。単営が原則である金融の兼営をなぜ認めたかと言えば、農業者の営農を支える事業として協同組合金融が必要だからと言うことです。

 今後、准組合員がさらに増加し大宗を占めて行く状況の中で、JAグループは金融を柱とした総合事業体の必要性、法制度上の総合事業体の確立に向けた位置づけを明確にして、具体的な対応策に取り組む必要があります。

 そもそも准組合員制度は、産業組合時代からの取組みも踏まえ、農業基盤の脆弱性、農業収益性の低さ等により組合経営の安定化をはかるなどの観点から、農家以外の支配を排除するため共益権を制限された組合員として、地域住民等を組合員とするために措置されたものです。

 これまでの農業構造の変遷、地域経済の衰退、地域人口の高齢化・過疎化の中で、農家の協同組合であることを基本としつつ、地域のインフラとしての様々な役割・機能を果たしながら職能組合と地域協同組合の性格を併せ持った総合事業体として取り組んできたJAグループが、今後の目指すべき方向として地域住民を組合員とし、金融・共済や生活、高齢者介護などを含む総合事業を展開する協同組合として進んでいくためには、組合員制度、事業別・職能別協同組合法制、また公益性という観点からの地域協同組合という大きな枠組みの検討も含め、具体策を考える必要があります。

韓国「一社一村運動」に学ぶ

秋葉 武
にじ 2015 夏号 No.650

 韓国は1997年、(アジア通貨危機をきっかけとする)「IMF金融危機」にさらされた。「朝鮮戦争以来最大の国難」といわれた危機の中でグローバル化の道を突き進み外国企業や一部財閥企業の優遇、FTAの推進といった「経済成長路線」を進めてきた。

 その代償としての社会的な「痛み」は苛烈なものだった。(日本の「格差」に相当する)「両極化」はここ10年に渡る韓国最大の社会的、政治的なテーマである。ワーキングプアといった「新貧困層」の増加、都市と農村の格差の拡大といった現象は日本と似ているが、韓国はそれが急速に進んだところに特徴がある。

 日本と異なるのは、財閥企業をはじめとする経済界の農村、農家への認識である。「グローバル化によって我々企業が恩恵を受けたのだから、不利を蒙る農村を支援する責務がある」という認識が根付いている。韓国の農協は正組合員を准組合員が大きく上回るが、日本と異なり「准組合員問題」は存在しない。都市部の人々、産業界が農協、農村を支えるという国民的な含意があるからだ。

 こうしたなか、04年、(日本の経団連に相当する)全国経済人連合会と農協中央会などによって「一社一村運動」が始まり、韓国農村に広く定着している。「一つの企業が一つの農村を支援する」という考え方にもとづいて、例えばA社とB村が姉妹提携を結ぶ。A社はB村に対して、農作業支援、農産物購入、企業ノウハウを用いたマーケティング支援などを行う。日本では都市の生協が農村と産直提携を展開してきたが、韓国はそれを大手企業が実施することに特徴がある。

 一社一村運動は双方にメリットがあるため拡大してきた。つまり、企業は農作業支援を通した社員・家族の福利厚生の向上、高品質な農産物の購入が可能となる。農村はITやマーケティング、広報の支援を受けることで、適正な価格での農産物の販売が可能となり所得の向上につながっている。

 日本でも農村と大手企業の間にもっと早い時期からこうした動きが定着していれば、農村やJAに対する見方も変わっていたのではと考えるのは甘過ぎるだろうか。なお、韓国の一社一村運動は日本の静岡県で09年から模倣されている。

自主・自立の協同組合として

比嘉 政浩
にじ 2015 春 No.649

JA中央会制度の廃止

 2月9日、自民党が「農協改革」につき、「法制度等の骨格」を取りまとめ、今国会での農協法改正法案の「骨格」がほぼ決定されました。現在のJA中央会の規定は農協法から削除、JA全中は一般社団法人化、監査機能は外出しされ、新たに公認会計士法に基づき監査法人が設立されます。JA県中央会は連合会になり、JAや連合会が他の法人格に転換「できる」規定が設けられます。JAの理事は過半数が原則として認定農業者や農産物販売・経営のプロとする規定を置くとされました。

 また、急浮上した准組合員の利用量規制については今回免れ、「5年間の利用実態・農協改革の実行状況の調査を行い慎重に判断」とされました。JAグループがこれを重視したためですが、見方によっては、政府が取引材料として活用したようにも見えます。

組合長は「縛られていない」と回答

 JA中央会制度廃止の理由は「JAの自由な経営を縛っているから」。しかし、1月の日本農業新聞によるJA組合長アンケートでは「中央会がJAの自由な経営を阻んでいるとは思わない」と95%の組合長が回答しました。政府がJA中央会制度廃止にこだわったのは、JAグループ全体の代表機能を低下させ、政治的な発言力をそぐためと受けとめています。

割り切れぬ思い

 悔しい思いをしました。今もそうです。JA全中の監査は農業者の所得増の妨げだと喧伝される。そんなわけないでしょう。何のために「妨げ」るのですか? 賦課金を集めるために?

 もし、そこにフォーカスしても農業者の所得増は賦課金確保に有利なはず。JA全中のホームページでは業務監査の結果事例を毎年度公表しています。どの監査意見が農業者の所得増を妨げたのでしょうか。あまりにひどい論立てです。

それでも前を向きたい

 それでも・・・何とか前を向きたい。苛立ちが足踏みにつながることを何としても避けたい。
 協同組合の自主性を否定する政府の態度は容認できません。協同組合全体で危機感を共有し、改めて発信したい。役員の要件を政府が決めるなどおかしい、と声をそろえたい。

 JA綱領は「われわれは素晴らしい組織だ」というPR文ではありません。「難しいが挑戦します」「めざします」という宣言文です。地域の農業を振興し、わが国の食と緑と水を守りましょう。環境・文化・福祉への貢献を通じて、安心して暮らせる豊かな地域社会を築きましょう。

 こうした取組みが可能となるよう、変えられてしまう新しい制度を精一杯運用しましょう。
 この努力こそがわれわれの誇りの源ですから。

時間はある、と捉えたい

比嘉 政浩
にじ 2014 冬号 No.648

冷蔵庫から出てくる

 本誌が皆さんに届くころ、総選挙の結果が明らかになっているでしょう。衆議院の解散が現実のものとなるまで、規制改革会議に端を発した「農協改革」は、「年内取りまとめ、年明け国会で農協法改正」と言われていました。総選挙が決まり、与党国会議員は「この課題は冷蔵庫に入れる」。適切な表現です。当面取り扱わない、しかし無くならない、時期が来ればそのまま出てくる・・・そして、いよいよ冷蔵庫から出てきます。

 政府は、協同組合のことを自主・自立の組織ではなく、政府の持ち物と思っているかのようです。JAグループが望まない農協法改正について具体的な議論が始まります。

短期決戦

 法改正ですから政府が提案し国会が決めます。時間はありません。息が詰まるような時が始まります。私に何ができるかわからない。緊張感をもって臨みたい。

5年をかけてすべてを

 しかし、政府はすべての農協法改正を年明けの今国会でやろうというのではありません。数多くの事項を掲げ「5年間を集中改革期間とする」としています。

 これまで取り上げた事項はすべてやるという姿勢です。不気味な執念を感じます。

時間はある、と捉えたい

 しかし、私は、時間はある、と捉えたい。JAグループを解体しようとしても、組合員や地域の方々がそれに反対されれば、そう簡単にはできません。また、意図しない法の内容であっても運用するのはわれわれです。JAグループ役職員の闘いは、素晴らしい協同組合を創ること、JA綱領が掲げる姿の実現です。

 1~2年、緊張感をもって取り組めば、組織のあり方は相当に変えられます。自らが担う業務について、組合員・現場目線でもう一ランク高見を目指しましょう。
 何よりも、その姿勢が伝わります。

何度も節目が来る

 おそらく、これから数年間のうちに、何度も大きな節目が来るでしょう。もし、その日まで看過してしまった宿題があれば、その度にそれがわれわれの足かせになるでしょう。

将来を決める数年間

 今般の危機を良い契機にすることができなければ、JAグループの将来像は描けない。将来を決める数年間になる。その思いで日々の業務にあたりたいと思います。

誇りをもって頑張れ

比嘉 政浩
にじ 2014 秋号 No.647

 松岡公明(現農林年金理事長)の後任として協同組合研究部担当理事に就任した比嘉と申します。前任者に比べ知識も冗談も引き出しが少ないのですが、この職を意気に感じて務めます。よろしくお願いします。

 私は3月までJA全中で勤務していました。今春来、「JA全中廃止」「信用事業は分離」「JAは他法人に転換」と次々報道され、緊張と焦り、怒りを覚えました。

 私の母は80歳。幸い元気で携帯メールを打ちます。ある日、「大丈夫か」のメール。新聞のあの見出しなら確かに心配するかもしれません。

 報道ではJA全中が各JAを縛っているとされますが、JA全中がJAに厳しく対応するのはJAの経営破たんの懸念など規律性確保に関する時だけです。JAはJA全農に任せず自分で農産物を売るべし、そうした先進事例はある、という報道もありますが、消費地に近く自分で売り切れるJAと遠隔地で大産地のJAでは自ずと違います。JA全農は農家にメリットがあるよう工夫し、JAに事業利用を呼びかける存在です。

 最もひどいのは、規制改革会議農業ワーキンググループの「JA全農を株式会社に転換する」とのまとめです。この文章の主語は誰でしょう。政府は、ですか? 協同組合を理解している人の書く文章ではありません。この取りまとめに対して、生協、漁協、森組など日本の多くの協同組合が懸念を表しましたし、ICA(国際協同組合同盟)も強く非難しました。当然でありかつ嬉しかったです。

 もちろん、JAグループに課題がないとは言いません。この機会に総点検し自らを見直す覚悟が必要でしょう。

 しかし、一連の情報・報道には意図を感じます。TPPに反対だからでしょうか。企業のビジネスチャンスを奪っているというのでしょうか。ドリルで何を壊す気でしょうか。もし、「地域を守る」仕組みを壊そうとしているなら、これに全力で抗することは当然ではないでしょうか。

 私は母と何度かやりとりしました。本件に関するメールの最後に、「誇りをもって頑張れ」。

 親はありがたい。ハイ。誇りをもって頑張ります。誇りを持ち続けられるよう、悔いなくこの異常な事態と向きあいます。

「私の」新協同組合ビジョン

中川 雄一郎
にじ 2014 夏号 No.646

 明治大学の最も新しい校舎、グローバル・フロント(大学院専用棟)のホールで「新協同組合ビジョン研究会報告」(当研究所セミナー)が先日5月16日に開催された。この研究会報告は3つの講演と2つの実践報告、それにパネルディスカッションを通じて「なぜ、いま、協同組合の新ビジョンが求められなければならないのか」、その背景と論点を明らかにし、したがって現代協同組合の事業と運動の発展を理念的側面―すなわち、「協同組合アイデンティティ」の側面―と経済‐社会的な側面の双方から追究する、意欲的で示唆に富んだものであった。そして何よりも、この研究会報告には各講演者に暗々裏に了とされていた事項があった。「レイドロー報告を乗り越えて」がそれである。

 3つの講演は私の「協同組合は『未来の歴史』を書くことができるか」と、田中夏子氏(都留文科大学非常勤講師)の「協同組合は『参加』の問題とどう向き合うのか」、それに大高研道氏(聖学院大学教授)の「現代協同組合が求める教育活動の姿」である。また実践報告は、亀田高英氏(コープみやざき理事長)の「組合員さんの日々のくらしに役立ち続ける生協をめざして」と、岸本幸男氏(JAグリーン近江理事長)「組合員・地域とJAの関係構築を目指して」の2本立てである。講演と実践報告のいずれも大いに関心をそそるテーマである。したがって、これらの講演と実践報告のすべてに言及したいのであるが、紙幅の都合で取り敢えず私の講演の中身に極簡単に触れておく。

 私にとっての「新ビジョン」は実際には、新ビジョンそれ自体を謳うのではなく、「レイドロー報告の本旨」を追究することで「協同組合のエートス(主体的選択に基づく行為性向)」の何たるかを明らかにすることであった。認識論的に言えば、(1)(人びとや社会の) 「協同組合に対する期待」、(2)「協同組合の果たすべき役割」、そして(3)「協同組合のなし得る実践」、これらを明確にする意義と意味を示唆することであった。換言すれば、それは「協同の倫理」と「参加の倫理」に導かれた協同組合人が、自らの「個人的行為の社会的文脈」と「協同組合の事業と運動の普遍性」との必然的な関係を認識し、「未来を見据える」鳥瞰図を描く環境を整えることである。「レイドロー報告を乗り越えて」とは、そのように幅広く、かつ奥深い「協同組合の世界史」が協同組合人を含め多くの人びとによって創造されていくことを想像する眼力に外ならない。協同組合人の闘いは常に未来を見据えていなければならないのである。

プラットフォームと協同組合

松岡 公明
にじ 2014 春号 No.645

 近年、JA合併、市町村合併による組合員、住民サービス機能の低下問題が指摘されている。一方「私助」「公助」の限界と課題が明らかになるなかで「住民自治」による地域づくりが注目されている。そこでは保健・福祉・医療・子育て・教育・労働・防災・環境・ごみ問題などを切り口にした住民自治の総合的なデザインが課題となっている。今まさに地方自治体、企業、大学、協同組合、NPO、市民が多様に参加、協働する時代へのパラダイム転換が求められているのである。

 「無縁社会」「生きにくい社会」の問題が取り沙汰されるなかで、生活現場では地域コミュニティ力の向上が課題である。コミュニティの語源はラテン語の「コム」(一緒に、共通の)と「ムヌス」(任務・義務・贈物)からなる。コミュニティは「一緒に任務・義務を遂行する人の集まり」といえる。コミュニティのデザインは人のつながりや関係性のデザインでもある。関係性を結びなおすことは眠っている「ご近所の底力」を再生することに他ならない。

 プラットフォームとは「誰でも入れる『公』の空間の中に信頼しあい、共通のテーマ、目的を持った人間同士がつながれる『共』の空間をつくる場所」と定義される。プラットフォームは従来にないコミュニケーション活動を通じて、今までにはなかった人間関係の相互作用をつくり出し、そこから新たな付加価値を生み出す「創発現象」を引き起こす。いかなる活動・経路をつくればどんな相互作用が生まれるのか、といったことが設計上の課題となる。國領二郎慶応大学教授はプラットフォームの基本的機能として、(1)多様な人間がつながりあうマッチング機能、(2)コミュニケーションによる信用・信頼機能、(3)資源・能力の再編集機能、(4)協働のインセンティブ機能の4点を指摘している。

 JAは地域社会の一つの「器」である。地域農業の振興はもとより地域づくりのプラットフォームとしての機能を自ら持ち合わせていると言えよう。協同組合はメンバーシップと組織力によって支えられる。組合員はもとより地域社会とのネットワークを通じて多様な人々・組織との接点をつくり、「次の世代」への支持や共感・共鳴を広げ、メンバーシップと組織力を再構築していくことが「次代へつなぐ協同」の到達点である。協同組合運動による人のつながりや協同の関係性が地域コミュニティの新たなデザイン力となっていくだろう。それこそJAの社会的「器」=プラットフォームとしての役割である。旧JA単位の支店・支所を協同活動でデザインすることは、JAの組織基盤をデザインすることでもある。

 組合員による協同活動はJA内部に留まることなく、地域住民・社会との多様な接点をつくりながら協同活動を社会的共通価値とすべく進化、発展させていかなければならない。JAだけでなく地域社会にとっても、相互扶助に基づく協同活動は「戦略」となるからである。協同組合の公器としての機能発揮が将来の組織的、経営的発展を左右する。

スモール・ワールド・セオリー

松岡 公明
にじ 2013 冬号 No.644

 人間にも生活習慣病があるように協同組合組織にも生活習慣病がありそうだ。手段と目的の混同、リスクの回避、前例主義、形式主義がはびこり思考の硬直化あるいは停止状態が広がっている。「無関心こそが最大の罪悪である」(マザー・テレサ)。自分の立場・経営さえよければいいという「タコツボ化」現象が蔓延し、全体最適が追求されず、部分最適の集合体に陥って業務連鎖、組織連鎖の視点が欠落している。「事なかれ主義」「相互不可侵条約」による仕事の仕方が<総合無責任>を結果していることに気づいていないようだ。生産者・消費者、産地、地域社会の問題点をさらけ出し組織間・部門間の横断的なぶつかり合いのなかから、よりよい解決策を模索し実践と反省、学習を繰り返していくことが求められている。

 一方で「地域コミュニティ力」が問われる・求められる時代となっている。市町村合併、協同組合組織合併により住民、組合員サービス機能の低下が指摘されている。「私助」「共助」「公助」の連携は、農業生産・産地づくり、高齢者福祉、子育て支援、環境保全、防災、祭り・伝統文化の継続など、テーマや課題によって「動態的」に関係づけて考えなければならない。要はコミュニティのガバナンスは眠っている「ご近所の底力」を掘り起こすことにほかならないのである。

 協同組合もコミュニティも単体で考えてはいけない。 「スモール・ワールド・セオリー」という面白い理論がある。アメリカの人口は2億人程度だが、そこから無作為に2人を選んで「友達の友達はまた友達」というふうに辿っていくと、何人ぐらいで両者はつながっているか。結局、平均6人の友達を介してつながっていた。これが「六次の隔たり」と言われている。つまり、自分とはまったく縁もゆかりもない他人であっても6人ぐらい友人を辿っていけば、その人に到達できるというわけである。「六次の隔たり」で億を超える人間が友達としてとつながることができるとすれば、それは驚異的というべきかも知れない。案外、世間は狭いのである。

 この理論を協同組合、コミュニティに当てはめてみたらどうだろう。それぞれの組織間に社会的、経済的な関心に基づくコミュニケーションがあれば、つ ながりがつながりを生むというネットワークの外部性が働き「価値の連鎖」も構築できる可能性が広がる。人間もお互いの趣味を通じて知り合いになり、そうした関係から友達も増えていくように、お互い共通する課題・問題点を共有していくなかで、その解決に向けて協力関係も構築していけるのではないか。一つの 協力関係の経験から、さらなる多様な協力関係の輪が拡大、形成されていくという図式を描くことができるだろう。関係性(結びつき)から社会を見直し、「他者」との関係を結び直していく作業による協同組合間協同や重層的なコミュニティづくりを協同組合運動のセオリーとしなければならない。

腹式呼吸と民主主義

松岡 公明
にじ 2013 秋号 No.643

 TPPは異例の秘密交渉となっている。福島原発の汚染水漏出問題、消費税増税問題も国による情報開示、説明責任が不十分で国民の不信・不安が増幅している。「TPPありき」「再稼動ありき」「増税ありき」の偏った報道が目立つ。メディアの劣化が指摘されている。情報開示は民主主義の前提である。

 最近、ある俳優が火付け役となり、ぽっこりお腹をへこます腹式呼吸によるダイエットがブームになっている。息を吐ききるには、お腹周りの筋肉をしっかり使わなければならない。普通の呼吸では腹筋は収縮しない。インナーマッスル(深層筋)を鍛えることで腹部内部がゴムバンドで巻いたように締め付けられ、内臓についた体脂肪を燃焼する効果があるという。腹筋を意識しないとできない呼吸方法である。自律神経を回復する効果もあるそうだ。腹式呼吸が上手になると姿勢もよくなり、スタイルが改善されるという。

 協同組合の参加・民主主義の原則に、この腹式呼吸の方法論があてはまるのではないか。息を吐ききるように、組合側から組織・経営等の情報を徹底して吐き出す。息を吐き出し終われば自然と深く息を吸うことになる。組合員の方は、吐き出された情報を能動的に深く吸うことによって自律神経を回復する。そして、深く吸い込んだ後は、今度は深く息を吐ききるように意見・要望を組合に対して吐き出していく。組合はそれを深く吸い込み企画・提案として吐き出していく。こうした腹式呼吸の繰り返しが参加型民主主義のレベルを引き上げ、協同組合としての「腹筋」を鍛えて引き締まった運動スタイルを持続していくことになる。双方向コミュニケーションの腹式呼吸により、「見える化」「共有化」「学習」がすすむのである。

 1986年、ゴルバチョフはロシア語で「建て直し」「再建」を意味するペレストロイカを提唱し、本格的なソビエト体制の改革に着手する。4月に発生したチェルノブイリ原発事故では、共産党独裁のもと情報公開が制限されていたため多くの住民が被曝し多数の犠牲者を出してしまった。事故を知ったヨーロッパ諸国からは苦情が殺到した。その反省から、グラスノスチという情報開示政策を推進した。グラスノスチの教訓は、情報の力は隠すことによってではなく、出すことによってしか得られないということである。情報開示に基づく熟議を通じた民主主義の本来の姿が問われている。

「フクシマ」に寄り添う協同組合運動を

松岡 公明
にじ 2013 夏号 No.642

 5月、福島県で開催された日本協同組合学会春季大会に参加して伊達市霊山町小国地区と飯舘村を訪ねた。小国地区は典型的な中山間地域で「日本のふるさと」といえるような新緑の自然がそのままにあるが、放射能は目に見えない。「稲刈りができなかったこの秋は何か忘れ物をしたような気持ち」という農家の声にあるように、水田の作付制限が行われ、自然と人間の「協働」による四季を彩る田園風景がなくなっていた。山菜のシーズンであるが、山野の恵みの楽しみも奪われている。そうした目に見えない価値への賠償はない。同じ地区内で、特定避難勧奨地域の指定を受け避難した世帯、指定は受けたが留まる世帯、公的な支援を得られず自主避難した世帯、支援もなしに今までどおりの生活を余儀なくされる世帯が混在する。わずかな空間線量の違い、子供がいるかいないかで、指定の線引きが行われる。指定世帯には各人に賠償金が支払われ、税金や保険料等も免除されるなど、指定をめぐるわだかまりがコミュニティや人間関係まで影響し、会話や挨拶もしないという時もあったという。

 飯舘村はもっと悲しい。人が住まない村、人の営みのない村の姿のなんと悲しいことか。涙を必死にこらえた。菅野村長は「放射能は村民の心を分断し続けている。まさに精神戦争である」と語った。戻りたい人、戻りたくても戻れない人、戻らない人、戻る判断がつかない人、それぞれ村民同士の深刻な分断と対立が生まれている。家族が離れ離れの避難生活も2年が経過し、健康、介護、仕事・勤め先、子供の教育、家族の絆、コミュニティの崩壊など様々な悩みが蓄積、村民の焦燥感は限界に近い。除染、賠償問題も不確定要素が多く、国や東電への不満・不信、怒りが渦巻く。「精神戦争」の言葉の意味は重い。

 それにしても、現場は想像力を超えて、あまりにも残酷すぎる。いったい事故収束宣言は何だったのか。電力会社の再稼動申請、さらに原発の輸出の動きは何なのか。アベノミクスで株価に一喜一憂している国民像は何なのか。たったの2年で原発問題は確実に風化している。人間に忘却はつきものであるが、「フクシマ」を忘却させてはならない。協同組合の基本的な価値観は他者への思いやりである。原発事故の不条理と理不尽と格闘している福島の人々や協同組合を思いやり、敬意をもって復興への道程に寄り添うことである。ひたすら寄り添い続けることで、協同組合運動が人間尊重、人間復興へのパラダイム転換にどういう役割を果たしていくのかも見えてくるのではないか。

協同組合運動と定義力

松岡 公明
にじ 2013 春号 No.641

 定義とは何か?「ウィキペディア」によると「一般にコミュニケーションを円滑に行うために、ある言葉の意味や用法について、人々の共通認識を抱くために行われる作業である」と説明される。

 1+1=2という数式には「足し算の定義」があるように、組織運動にも定義が必要である。協同組合にも定義がある。1995年国際協同組合同盟(ICA)声明では「協同組合とは、人々の自治的な協同組織であり、人々が共通の経済的・社会的・文化的なニーズと願いを実現するために自主的に手をつなぎ、事業体を共同で所有し、民主的な管理運営を行うもの」と定義されている。

 レイドローは「思想の危機」を指摘したが、今日の協同組合運動の混迷は、言葉としての「理念」をさらに因数分解し、双方向コミュニケーションにより説明責任を果たしていくという「定義力」の弱さにあるのではないか。例えば「参加」にしても社会の構造変化のなかで組合員意識も多様化し、協同組合自身の事業経営体としての成長拡大、大規模化への構造的変化が参加をより困難にしている面もあるが、そもそも、なぜ、協同組合は参加しなければならないのか、多くの組合員には「参加」の意味や意義が理解されていない。「参加とは何か」、その定義力が問われているのである。定義を押えることは、本質を理解することにつながる。

 JAグループでは向こう3ヵ年の運動ビジョンとして、第26回JA全国大会で「次代へつなぐ協同」を組織決定した。多様な組合員構造があるなかで、「次代」とは何を指すのか、「つなぐ」とはどういうことを行うのか、「協同」の今日的な意義とは何かについて「定義づけ」する必要があるだろう。

 次世代の組合員後継者に「JAとは関係ないね」といわれたとき、何と答えるのか。あるいは「協同組合としての農協」について、どのように説明責任を果たすのか。組織リーダーが組合員や地域住民に対して「何を語るか」、ビジョンにかかる言葉の定義づけが大きく問われることになる。組合員が納得し行動するのは、JA側から提案され語られる内容に賛同するとともに、提案し語りかける人物に共感と信頼を覚えた時だけである。そこに組織リーダーの、まさにリーダーシップが求められる。

 ゲーテは言っている、「人は自分が理解できないものを、自分のものとは思わない」と。

2016年~2018年 | 2013年~2015年 | 2010年~2012年

 

ページトップへ